卒業論文の書き方

卒業論文作成上の注意

 

  卒業論文は通信教育部で学ぶ成果の総決算です。テキスト科目の修得やスクーリングなどの一歩一歩の学習はすべて卒業論文という頂上を目指して行うといっても言い過ぎではありません。すべての学習は卒論に通じるというわけです。ではその卒論はどのようにして作成されるのでしょう。その前にそもそも卒論とはどのようなものでしょうか。

 卒業論文の作成にあたって何冊かのガイドブックが出版されています。大きな書店のコーナー(レポートや論文作成に関するマニュアル本の棚)に足を運べば、いくつもの「論文の書き方」ガイドが置いてあります。手にする場合は少なくとも二冊以上に目を通してください。なぜなら著者によって専攻分野によって、論文に求められる事柄が微妙に違ってくるからです。もちろん、通信教育部が作成した『卒業論文の手引き』(慶應義塾大学出版会)も参考になります。ただ、今や名誉教授になられた先生方の論考はいささか「歴史的な」趣さえ感じさせるもので、そのまま卒論作成の現在形として読むには難があるかもしれません。同じ慶應義塾大学出版会から『大学通信教育に学ぶ人のためのスタディガイド』という本も出されており、こちらは文学部教授と通信教育部卒業生の共著で、卒論に限らず通信教育における様々な学習形態が具体的なアドヴァイスとともに説明されています。また文学部では、卒業論文作成にあたって、「文学部の卒業論文指導申し込みに際しての諸注意」という文書を用意しています。これには、文学部の各専攻から寄せられた、卒論作成上の注意や指導可能な領域、卒論制作に取り掛かる前に目を通しておくべき参考文献などが記載されています。この文書を、卒論制作に取り掛かる前に、熟読しておいて下さい。自分が作成する専攻以外のものでも、大いに参考になるはずです。

 以下では、文学部全体に共通するごく一般的な注意を述べておきます。

 

1.テーマの選び方

  卒業論文とは何でしょうか。それは卒業要件となっている論文であり、学位を請求する、学士号を得るための論文です。言うまでもないでしょう。ただし、論文とは「文章」であり、誰かに向けて書かれるものであるということ、このことを見過ごしてはなりません。論文の特殊性(学位論文ゆえに学問制度が要求する書式や形式)ばかりが強調されて、他の文章(日記、小説、手紙、法令など)との差異ばかりが述べられてしまうと、卒論がそもそも誰かに向けて書く行為であるということが忘れられてしまいます。論文とはいえ、誰かに何かを伝えたいという欲望こそ重要なのです。その意味で大事なのは、自分が大学でいったい何を勉強したくて入学したのか、今一度初心に立ち返ってじっくり考えることです。その上で、人に伝えたいことが浮かべば、それがあなたのテーマでしょう。日々の生活で「楽しい」「嫌だ」「変だ」「素晴らしい」などと感じた出来事はすべてあなたのテーマになるはずです。ラブレターも論文も、誰かに向けて書くという意味では同じです。まずこの点を再確認しましょう。あなたのテーマをある専攻分野で学位論文という型に当てはめるという意気込みが大事です。ですから「〜のテーマは卒論になるでしょうか?」という問いは愚問です。

  ではテーマがおぼろげながらもわかったとして、そのテーマと専攻分野の関係はどうすればいいでしょうか。これが決まらなければ卒論題目を絞りこめません。専攻分野の選択とは、そのテーマにどのような方法を以ってアプローチするかと同じです。文献研究を主軸に据えるものから、質問紙やインタビューで人に聞いたり、観察や参加などのフィールドワーク、あるいは実験などを必要とするものまで、研究方法にはさまざまなものがあります。自分のテーマにふさわしい方法を考え、かつその方法を実践するに十分な環境が身近に整っているかどうかを考慮する必要があります。ただし、具体的に採用すべき方法は指導の先生との相談で決まることも多いため、最初の段階では、自分のテーマがもっとも活かせる分野を決めることであり、それはテキスト科目やスクーリングの経験(さらには放送大学の視聴なども)を通じて判断するしかないでしょう。また逆に、通信教育の皆さんの場合には、自分の属する地方の特性を生かした研究――たとえば、その地方にしかない(あるいはその地方にとりわけ豊富な)資料・史料を活用した研究――に取り組むのも有効な方法です。

  また、テーマの選定にあたっては、指導を受けることのできる教員がいるかどうか、教員の専門分野を事前に十分調べておくことも大事なことです。せっかくよいテーマを設定したとしても、その分野を指導できる教員がいなければ、結局一から出直しになってしまうからです。みなさんの指導を行えるのは現在慶應義塾にて専任で教えている先生方です。どのような分野の専門家がいるのかは、文学部については『文学部専任教員一覧』という冊子でも調べることができます。この『一覧』には、文学部に所属する全専任教員の専門分野と最近の業績が記載されており、大変情報量が豊富です。同書は通信教育部事務室に常備されており、夏期スクーリングの折には日吉に臨時に開設される事務室にも備えられ、いずれの場所でも閲覧することができます。また、希望者は所定の手続きをして購入することもできます。

 また、文学部所属以外の先生方についてはインターネット上の慶應義塾のホーム・ページで調べるのが得策でしょう。たとえば英文学専攻の先生は文学部に限らず慶應のほとんどの学部に所属しています。

 

2.論述上の注意

  論文は他のさまざまな文章とは違う独特の型をもっています。専攻分野によってその型の縛りの強弱は異なりますが、まず共通するのは「物語」をもつということです。はじめがあって、終わりがあるということです。調べた事柄や自分の主張がランダムに置かれるのではなく、特定のストーリーを形作る必要があります。それが論文の「構成」であり、端的には「目次」として表されます。目次を見ればその論文の質の大方は読み取られてしまいます。問題意識、課題設定、課題へのアプローチ、立証のための資料/素材の提示、課題の解決といった道筋が目次には見て取れます。たとえば同じ課題、同じ資料を使っていても構成が異なれば、論文の質は大きく違ってきます。

 構成や目次、別のことばでいえば、章立てです。ここでは簡単な例を挙げておきましょう。それは「三章三節三項」の章立てです。序章や終章を入れれば、五章立てとなります。各章は三つの節で構成され、各節は三つの項に分かれるというものです。三章にふくまれる項の数だけを数えれば、二十七の項となります。もし各項を原稿用紙二枚程度書けば、卒業論文としては申し分のない字数になります。もちろん実際には、十章立てでも五節立てでも二項立てでも構いません。字数のカウント以上に大事なのは、それぞれの文章のかたまり(項)がどのような関係にあるのかが章立てによって明らかになるということです。章立てはいつでも変更できますから、まず、自分のテーマで思い浮かべるキーワードを集めて、それらを見出しにして、章、節、項に割り振ってみてください。きっと自分の書きたい論文の輪郭が姿を見せてくれるでしょう。

 論文で作られる文章は「論述」です。簡単に言えば、ある主張とその根拠の提示をペアにして文章を作っていくということです。「〜である、なぜなら〜」あるいは「〜ゆえに、〜である」という形式の文章を積み重ねるということです。論文では主張も大事ですが、それ以上にその主張の根拠が何であるのかを明示することが不可欠です。根拠や論拠はもちろん主張や意見を説得的に述べるためのものですが、他方で、その根拠を巡って、他人と議論できることが求められます。その結果、反証され自分の主張が維持できなくなることもありです。根拠を示さず、ただこう思う、という形式の文章は反証されることのない記述です、そうではなく、反証される可能性をもった論述によって組み立てられるのが論文です。論証と反証のやり取りが論争と呼ばれ、学術的な進歩に欠かせないものとされます。学位論文を書くことは否応なく、この論争の潜在性を引き受けることなのです。

 主観的な意見の羅列にすぎないと批判されるなら、それはあなたの書いた文章が「〜である」ばかりで、「なぜなら〜」が抜けているからです。根拠づけられた主観的意見は「主観的」ではありません。あるいは文献資料の要約ばかりだと批判されるなら、それはあなたの書いた文章が「〜ゆえに」ばかりで、肝心の「〜である」が抜けているのです。

 論述がしっかりしていても論文にならない場合があります。それは論文には「新しさ」が求められるからです。既存の研究につけ加える何かが必要です。それは何も新発見ということではありません。既存の説を追試したり、新たな方法やフィールドを通じて確認したりでも構いません。そのことを説明する件が先行研究への言及です。自分のテーマ自分の分野で従来どのようなことが言われてきたのか、それを要約的に整理して、その上で、自分の立場を明らかにするのです。既存の研究の流れに対して自分の研究をどのように位置づけるのか、それを明らかにします。ですから先行研究への言及がないということは、読者にあなたの論点や方法をどのように理解したらいいのかについて、何のヒントも与えないということであり、不親切でもあります。そしてもちろん、単なる不勉強という誹りを免れ得ません。

 

3.資料収集の方法

  文献などの資料収集にあたって、まずもっての拠点は図書館という事になります。通信教育の皆さんの場合、地理的な問題として、本塾の図書館をいつも自由に利用できるとは限りませんから、自分自身の身近に使用できる公立図書館などについての事前の調査も必要不可欠です。こうした情報については、各地の慶友会組織を通して、先輩や仲間たちと情報交換をしあうのも有効な方法です。普段は大学と一対一で向かい合う事になる皆さんにとって、一緒に学んでいる仲間たちとの接触は、よい励みにもなるはずです。

 ネットを通じた資料収集も重要です。大学図書館あるいは国会図書館のようにネットによる検索を公開している場合も多く、またネットよりダウンロードすることが可能な学術論文や資料データも少なくありません。

  また、それぞれのテーマに関してどのような文献が必読のものであるのかを知るには、各種の『文献案内』が役に立ちます。一例として、文学部第Ⅰ類に所属する諸君であれば、三田哲学会が発行している雑誌『哲学』に、文献案内の別冊があります。この別冊は、通信教育部で頒布しています。こうしたものが、それぞれの専門領域で必ず存在していますから、それらを有効に活用する事もお勧めします。

 

4.参考文献の引用方法

  論文の執筆にあたっては、論文中に登場するさまざまな主張がいったい誰に由来するものなのかを明示しなければなりません。参照した文献の主張を要約するにせよ、そのまま引用するにせよ、その出所を明記しておく事は、論文作法の「いろは」に属します。これは、引用された主張をめぐって議論する際に、また引用がそもそも主張者の趣旨にかなったものであるかどうかを検討する際にも、第一の典拠に立ち返る必要があるからです。 また参照箇所や引用自体が自分の主張の根拠となる場合、その出典を明記することは、根拠を根拠たらしめる要件になります。

 自分のオリジナルな主張を目指すばかりで、他人の意見が、その典拠を明示されずに論述の中に取り込まれている場合には、それがあたかも論述者の独自の論点であるかのように見えてしまい、極端な場合、論点の剽窃にもなりかねません。自分の主張が明確になるのは、これこそが自分の主張だと言い張るよりも、これは誰それの主張であると繰り返し明示することによってです。

  このような意味で、参考にした文献の引用にあたっては十分な注意が必要です。引用と典拠の指示の実際にあたっては、各々の学問分野に定着した一定のルールと表示の仕方がありますので、これらを身につけておく事も論文執筆にあたっての必須の条件となります。自分が執筆する分野のルールがどのようなものであるのかは、その分野で書かれた論文をいくつかを読んでみるのが、一番手っ取り早い方法です。卒論執筆にあたっては、そうした論文を必ず読むのですから、その時、引用の仕方などにも十分な注意を払っておきましょう。

 

5.さいごに

 皆さんは指導の先生のもとで、その指導が個人指導であろうがゼミ指導であろうが、卒論を書き進めることになります。最初に手がけて欲しいのは、慶應大学にどのような専門分野で研究している先生がいるのかを調べることです。先に述べましたように、ホームページを活用するのがその際は得策です。先生の紹介がたとえば一行で「英文学」とか「社会理論」とか「日本中世史」とかなっていたら、今度は、どのような論文や著書をその先生が書いているのかを調べることです。そしてそれらの刊行物に目を通す。このような作業を繰り返すことで、自分のテーマに輪郭を与え、自分のテーマを学問分野に位置づけ、そして論文をどのように執筆すればいいのかがわかるようになるでしょう。そしてさいごに、人に伝えたいという気持ちがあれば、卒論作成は意外にすんなり進むものです。安心して書きましょう。